夜の街が満たす、男の承認欲求と空虚
【30代後半・女性、既婚、パート、子供2人】
夫の異変に気づいたのは、去年の夏が終わる頃でした。私はパートで家計を支え、子供たちの送り迎えや夕食の準備に追われる毎日。夫はというと、相変わらずの残業続きで帰りはいつも遅く、疲れているんだろうと最初は気にも留めていませんでした。
でも、少しずつ違和感が募っていったんです。夫のワイシャツから、嗅ぎ覚えのない甘い香りがすること。それも、普段使っているものよりずっと高価そうな、ちょっと色っぽい香り。私が指摘すると、「会社で香水キツイ奴がいて」なんて、いかにもって感じの言い訳。その辺から、スマホをテーブルに置く時、必ず画面を下にするようになったり、私がちょっと席を立つだけで、手に取ってロックを解除する速度が異常に速かったり。
最初は「まさか」と思っていました。こんな平凡な、私みたいな主婦に、そんなドラマみたいなことが起こるなんて。でも、胸の奥でチリチリと燃え上がる不信感は、日に日に大きくなっていきました。
決定的な夜の、冷たいレシートと見慣れないヘアピン
疑惑が確信に変わったのは、ある土曜の夜でした。
夫が会社の飲み会だと出かけていった後、子供たちが寝た静かなリビングで、私はふと、彼の車の掃除でもしようかと思い立ちました。車内はいつも彼任せで、たまには私が綺麗にしてあげようという、ささやかな妻心だったんです。
助手席の足元に転がっていたのは、数枚のレシート。いつもなら捨てられているはずなのに、なぜかそれが視界に飛び込んできました。日付は先週の平日。都心の少し高級なイタリアンレストラン。金額は、二人分にしては高すぎる。しかも、会社の飲み会で使うような店じゃない。
心臓がドクンと嫌な音を立てました。手が震えるのを感じながら、さらに車内を探しました。そして、後部座席のシートの隙間に、キラリと光るものを見つけたんです。それは、子供たちが使うようなカジュアルなものとは違う、ラインストーンのついた、華奢なヘアピンでした。
その瞬間、頭の中でパズルのピースがカチリと嵌まる音がしました。これまでの違和感が、全て一つの線になった。夫の嘘と、私の日常が、ガラガラと音を立てて崩れていくような、そんな感覚でした。体の芯から冷えていくような、あの感覚は今でも忘れられません。
リビングに張り付いた、氷のような沈黙
夫が帰宅したのは、午前2時を過ぎていました。私はリビングのソファで、レシートとヘアピンを握りしめて待っていました。
鍵が開く音がして、夫が少し酔った顔でリビングに入ってきます。私を見た途端、彼の顔から血の気が引いていくのが分かりました。私は何も言わず、ただ、テーブルにレシートとヘアピンを置きました。カチャリ、と、陶器のテーブルに置かれたヘアピンが、やけに響いたのを覚えています。
夫は、その二つを交互に見て、何も言えなくなっていました。私が冷たい声で「これは何?」と問い詰めると、彼は震える声で「ご、ごめん…」とだけ絞り出しました。謝罪の言葉は、まるで上辺だけの薄っぺらい膜のように、私の心には何も響きませんでした。
「誰?」「いつから?」私の質問は、まるで氷の刃のように、次々と彼を突き刺していきました。彼はただ俯き、途切れ途切れに言い訳を並べようとしましたが、その内容は全てが嘘だと分かっていました。その夜のリビングは、暖房が効いているはずなのに、まるで氷点下のように冷え切っていました。子供たちの寝息だけが、遠くから聞こえてくるのが、やけに鮮明でした。
私は離婚の二文字が喉まで出かかりましたが、その時、子供たちの寝顔が頭に浮かびました。パートの給料だけでは、この家を維持できない。子供たちの教育費、塾代、将来への不安。守るべきものが多すぎました。私のプライドや、夫への怒りよりも、子供たちの生活を守ることが、私には何よりも優先でした。
埋められない空虚と、私の選択
結局、夫は相手の女性とは別れました。形式上は、私たちの家庭は壊れていません。
でも、私の中で夫への信頼は、完全に崩壊しました。彼の「ごめん」という言葉も、もう心には響きません。彼の夜の街で満たされていた承認欲求の影に、私たちの家庭が空っぽになっていたことを知ってしまったから。
今、夫は以前よりずっと早く帰ってきて、家事も手伝おうとします。私に対する気遣いも、以前よりは増えたかもしれません。でも、私の心にはいつも、あの夜の冷たいレシートと、キラキラしたヘアピンがまとわりついています。夫の顔を見ても、以前のような温かい感情はもう湧きません。ただ、虚しさが残るだけです。
子供たちの笑顔を見るたびに、この選択が正しかったのか、自問自答します。この先、私は夫を許せる日が来るのでしょうか。それとも、この埋められない空虚を抱えたまま、この人生を歩んでいくのでしょうか。
※内容はプライバシーに配慮し、一部改変しています。
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